01.桐壺【源氏1〜12歳】

01.あらすじ

 ときの帝、桐壺帝の後宮にに桐壺更衣という女性がいた。彼女は帝の愛を一身に受け、玉のような男皇子をもうけるも、周囲の嫉妬がすさまじく、心労によってか皇子が3つのときに死去。
 帝は深く悲しむも、後ろ盾のない皇子の行く末を案じ、後々の争いのたねにならぬよう臣籍に下らせ源氏の姓を与える。
 桐壺を亡くした心の隙間を埋めようと、桐壺によくにた藤壺の女御を入内させた帝。光君は亡き母に似ていると人伝えに聞いた藤壺になつく。
 光君は12歳で元服を迎えときの左大臣の娘葵上を妻に娶るが、葵上は気位が高く打ち解けられず、一方で藤壺に心を寄せる。
 光君は亡き更衣の実家であった二条の屋敷を「二条院」とし、そこで生活を始めることにした。


桐壺更衣って・・・・・・

 桐壺更衣のお父さんは生前『大納言』という役職についておりました。役職的には上から順に、太政大臣・左大臣・右大臣・大納言・・・・・・と続くわけですから、実質的にはNo.3とかNo.4くらいの有力な貴族お家柄だった(※1)わけで、お父さんが生きていれば女御として入内していてもおかしくなかったわけですよ。ところがお父さんがさっさと死んでしまったので桐壺更衣はなんの政治的後ろ盾もないし、経済的援助もない状態で入内したので、位としては女御よりも劣る更衣になってしまったわけですね。
 ところが帝はなみいる女御たちをおいて、この桐壺更衣が気に入ってしまったからさぁ大変。
 みんなは実家の期待を背負って入内しているわけですが、帝の寵愛を受けて、なおかつ皇子を生んで、その皇子が帝になってこそ実家が権力握れるってのに、帝が自分のところに来ることすらない状態では子どもを作りようもありません。
 というわけで、桐壺更衣への周囲のイヤガラセが発生するわけですね。特に弘徽殿女御という、ときの右大臣の娘は第一皇子を生んでる自分を差し置いて・・・・・と桐壺更衣をいじめる筆頭になりまして、やりたい放題。しかも右大臣というバックがあるのですから怖いもの知らずですよね。まぁ、彼女たちにとっても生存競争みたいなもんだから仕方ありません。
 更衣も寵愛を一身に受けてるんですから堂々としてりゃいいのに、おとなしい性格なのか気に病むたちなのか、いじめの果てに衰弱死。根性無いにもほどがありますよ。帝も更衣が大事ならもっと全力で守ったらんかい、と言いたくもなります。
 ところで、これほどの寵愛を受けてたのなら、誰かが後見を買って出ておいしいとこどりをしよう・・・・・・なんて考えてもおかしくないのに、そんな人は一切現れません。不幸な人は不幸だからこそ同情されるのです、なまじ後ろ盾なんか見つかったりしたら更衣は心労で死なないかもしれないので、ストーリー的には大却下なのですが、イマイチそのあたり紫式部はツメが甘いような気がするんですよねぇ。


光君源氏姓を賜る

 ここでの有名なエピソードに、光君が高麗の高名な占い師に人相をみてもらうのですが

國の親となりて、帝王の、上なき位にのぼるべき相おはします人の、そなたに見れば、乱れ憂ふることやあらん。朝廷のかためとなりて、天の下助くる方にて見れば、又、その相たがふべし

【意味】 帝王になる人相はしてるけどけど、そうなると国は乱れるし、かといって朝廷の柱かって人相かというとそうでもないかなぁ・・・

と言われて、帝が「こいつの言うことももっともやな」と思ったかどうかはともかく、臣下に下されることになったので。
 まぁ、後ろ盾はない、明らかに敵視するであろう弘徽殿女御──右大臣家──がいる以上は、なんとかせざるを得ないと思うのが親心。何につけても優秀な光君と比べられる第一皇子もかわいくないわけじゃない、複雑な親心なんでしょうね。
 何はともあれ、光君はこれで帝位を望むことのできない身分として生きていくことになったのです。


葵上と藤壺女御

 元服した光君は葵上を正室として結婚します。とはいっても当時の12歳ということは、現代でいえば10歳ですか?(※2)いくらなんでも早すぎる上に、葵上は光君の4つ年上。この年代で4つ年が変われば、かなり違いますよね。女の子ってたいてい早熟なもんですし。
 こんな結婚がうまくいくはずもなく、二人はあまりうちとけることができないまま、亡き母の面影を求めて光君は藤壺に心を寄せます。
 私としては、藤壺女御はこの話のでは1・2を争う不幸な女性だと思うんですよね。しょせんは亡くなった人の身代わりとして桐壺帝に嫁いでるわけですし、後々光君のせいで悩みまくりの人生に突入ですし。
 とはいえ、先帝の四宮という押しも押されぬ身分で女御として入内して、いくら弘徽殿女御でも桐壺更衣にしたようないやがらせはできません。帝にも大切にされてはいたようなので、恵まれてはいたんでしょうね。


なぜ「光源氏」?

 光君はどうして「光源氏」と呼ばれるようになったのか。  源氏というのは、臣下に下ったときに帝から賜った姓が「源」だったからなんですが、光はどこから来たのやら・・・。

にほはしさは、譬へん方なく美しげなるを、世の人、「光る君」ときこゆ。

【意味】 美しさは、たとえようもないくらいにかわいいんで、世間の人は「光る君」って呼んだんや


「『光る君』とふ名は、高麗人の愛で聞こえ、つけたてまつりける」とぞ、いひ傳へたるとなむ。

【意味】 「『光る君』って名前は、人相見をした高麗人がええ顔してたから、そないな名前つけたんや」と、世間では伝えられとる。

 ということで、「光る」ように美しげな顔立ちだったから「光源氏」なんですねぇ。正直安易すぎ。しかも、名前のエピソード2つもいらないし。
 私も「光君」と書いておりますが、決して「ヒカルギミ」や「ヒカルノキミ」ではなく、「ヒカルクン」とお読み下さいませ。正直「ゴミ男」とでも書きたいところではございますがね。






※1 太政大臣は常に設置されていた役職ではなく、適任者がいた場合のみ設置された役職でした

※2 当時は数え歳で年齢を数えたので、生まれた歳が1歳、後は正月を迎えるたびに1つずつ歳をとるという数え方で、誕生日という概念はなかったようです

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源氏物語 第一部

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